2011年3月11日、金曜日の朝、愛犬とは普段の日と変わらず「明日はお休みだから、帰ったら遊ぼうね」と声掛けをして会社に出勤するために出掛けました。
私は東京都千代田区に所在した企業に勤務していました。
普段と変わらない金曜日の午後、まさか、この日が人生の価値観を揺さぶる日になるとは思ってもいませんでした。
そして、この経験が後に「ペットは家族」という思いをより強くし、犬や猫を守るための「住まいの安全」や「ペット防災」を深く考えるきっかけにもなりました。
【千代田区で迎えた地震発生の瞬間】
地震が起きたのは、同僚と会社の裏にいた時でした。地震発生後すぐに立っていられないほどの大きな揺れに変わりました。
近くのブロック塀が波打つように揺れ、地面も波打つように揺れ、周囲の建物からはガラスのきしむ音が響きました。
東京でここまでの揺れを体験したのは初めてで、恐怖よりも「これはただ事ではない」という直感が先に来ました。
別の同僚たちも皆会社の裏に出てきました。。
「これ以上の地震が来たらどうなるのだろう」
そんな不安が胸をよぎりました。
【社長からの避難指示と、靖国神社への避難計画】
揺れが落ち着いた後、当時勤めていた会社の社長から指示が出ました。
「もしこれ以上の地震が発生した場合は、(会社から徒歩10分ほどに所在する)靖国神社に避難する」というものでした。
靖国神社は広い敷地があり、建物の倒壊リスクも少ないため、避難場所としては理にかなっていました。
幸い、その後大きな揺れは続かず、実際に避難することはありませんでしたが、「都心で大地震が起きたら、どこに逃げるのか」という現実的な問題を突きつけられた瞬間でもありました。
【千代田区で起きた「九段会館天井崩落事故」】
しかし、靖国神社の近くにある九段会館で天井崩落事故が発生しました。
それが「九段会館天井崩落事故」です。
当時、九段会館では学生の卒業式関連の行事が行われており、多くの人々が大ホールに集まっていました。
そこへ震災の強烈な揺れが襲い、老朽化していた天井の一部や照明器具が崩落し学生に直撃しました。
この事故で2名の学生が亡くなり、20名以上が負傷するという痛ましい被害が出ました。
九段会館は昭和9年(1934年)に建てられた建物で、耐震補強が十分に行われていなかったそうです。
そして東日本大震災の揺れは、都内でも震度5強〜6弱の強烈な揺れで、老朽化した天井が耐えられなかったとされています。
後に建物の老朽化と耐震性不足が原因とされ、後に大きな社会問題となりました。
会社近隣で起きた出来事として、今でも忘れられません。
都心であっても、建物の耐震性や老朽化によって命が危険にさらされることを痛感した事故でした。
【交通機関が完全にストップし、会社に泊まる決断】
夕方になると、東京の交通機関はすべてストップしてしまいました。
電車もバスも動かず、タクシー乗り場には長蛇の列、会社の近くの靖国通りは大渋滞で自動車が全く動きません。
徒歩で帰るには距離があり、少し歩いて有楽町駅に出ようか迷いましたが、有楽町駅などから出ていた深夜バスも当然運休になってしまい、余震も続いていたため、私は自宅に帰るのを諦め会社に泊まることをにしました。
幸い、会社の近くのコンビニ数か所が営業しており、商品もまだ多く残っていました。
食料や飲み物を確保できたのは、本当に運が良かったと思います。
都内の多くのコンビニでは棚が空になり、帰宅困難者が食料を求めて行列を作っていたと後から知りました。
会社では、会社に留まった一部の同僚たちと情報を共有しながら夜を明かしました。
テレビでは東北の津波の映像が繰り返し流れ、言葉を失うほどの衝撃を受けました。
こういう経験は初めてで、自宅にいた愛犬の事が何よりも心配になり、胸が締め付けられる思いでした。
【翌朝、地下鉄で本八幡駅まで脱出】
地下鉄が一部再開していたものの、翌朝まで会社に待機し、都営新宿線で本八幡駅まで出ることが出来ました。
本八幡駅からは路線バスを乗り継ぎ自宅に戻ることが出来ました。
しかし、駅には疲れ切って座り込む人が多く、皆が長い夜を過ごしたことが伝わってきました。
自宅には運よく携帯電話で連絡が取れていたため、家族の無事、愛犬の無事は確認できていましたが、それでも実際に家に帰るまでは不安が消えませんでした。
【自宅の状況と、犬が受けた「心の傷」】
自宅に戻ると、幸い大きな被害はありませんでした。家具が倒れたり、物が散乱したりすることもありませんでした。
しかし、後日冷静に見てみると、本棚や家具が斜めに動いており、揺れの強さを物語っていました。
そして何より心配だったのが、当時一緒に暮らしていた愛犬のことです。
家族によると、地震や警戒アラートの音に怯え、何度も執拗に頭を振っていたそうです。
その結果、両耳に耳血腫ができてしまいました。
耳血腫は、耳の血管が破れて血が溜まる症状で、強いストレスや激しい頭振りが原因になることがあります。
まさに、地震の恐怖が犬の体に現れてしまったのです。
【病院での診断と、計画停電による治療の困難】
最初に診てもらった動物病院(A)では、耳血腫の手術を強く勧められました。
しかし、その病院の周辺では計画停電が実施されており、手術が難しい状況でした。
「ここでは治せない」そう言われた時は、犬のことが心配で胸が締め付けられました。
そこで別の動物病院(B)を探し、診てもらうことにしました。
動物病院(B)では、手術以外の方法で治療を進めてくれ、結果的に手術をせずに完治することができました。
震災の影響で医療体制が不安定になる中、犬の治療ができたことは本当に幸運でした。
同時に、「ペットは家族であり、災害時には人間と同じようにケアが必要だ」という思いが強くなりました。
【この経験が教えてくれたこと】
東京都や千葉県北西部での経験は、東北の甚大な被害に比べれば小さなものかもしれません。
しかし、
・交通機関が止まる
・帰宅できない
・医療が制限される
・ペットが強いストレスを受ける
・住まいの安全性が問われる
こうした「都市型の災害リスク」は身をもって体験しました。
私の場合、愛犬の耳血腫を通して、「ペットは家族であり、災害時には守るべき存在である」という思いが揺るぎないものになりました。
この経験が、後に「ペット防災」や「住まいの安全性」を深く考えるきっかけとなり、犬や猫と暮らす人に伝えたいことへとつながっていきます。